定本 中城ふみ子歌集 乳房喪失 附花の原型

中城ふみ子(なかじょう ふみこ)は戦後の短歌界に鮮烈な足跡を残した女性歌人です。

わずか31年の生涯で、恋や家族、病といった自らのドラマを短歌に注ぎ込み、その率直で情熱的な表現は多くの人の心を揺さぶりました。

この記事では、文学初心者の方にもわかりやすいように、中城ふみ子の代表的な短歌とその解説、波乱万丈の人生と歌の関わり、そして女性歌人としての革新性について、カジュアルな語り口でご紹介します。

短歌に詳しくなくても大丈夫です。

一緒に中城ふみ子の魅力を味わってみましょう!

代表的な短歌をやさしく解説

まずは、中城ふみ子の短歌の世界を垣間見るために、代表的な作品をいくつか取り上げてみます。

原文と現代語訳を並べて、その意味や魅力を丁寧にひも解いてみましょう。

  1. 「灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ」(現代語訳: 焼けつくすほど情熱的なキスでさえ、私は目を開けたまま受けてしまった。そんな自分を哀れんでほしい) – 激しい愛情表現である「灼きつくす口づけ」にも陶酔できず、目を開けて受けている自分を悲しんでいる歌です。情熱を求めながらもどこか醒めてしまう孤独な心情が伝わってきますね。愛されたいのに素直になれない中城ふみ子自身の複雑な思いを感じさせる一首です。
  2. 「子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ」​(現代語訳: 子供を抱いて泣いてみても、何かが私を普通の母親として生かしてはくれない) – として子を抱きしめれば思わず涙ぐむほど愛おしい。それでも「何物か」、つまり自分の中の得体の知れない情熱や運命のようなものが、平凡な母親として生きることを許してくれない…そんな葛藤を詠んだ歌です。家庭に収まりきれない彼女のもどかしさがにじみ出ており、母でありながら一人の女性として燃えるような自我を持つ中城ふみ子の姿が垣間見えます。
  3. 「無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず」​(現代語訳: あるはずのない乳房が痛むと嘆く夜ごとにも、菖蒲〈あやめ〉のつぼみは膨らみ続けている) – 病によって失った乳房がまだあるかのように痛む夜、悲しみに沈む私。それでも外の世界では菖蒲の花が季節を感じて蕾をどんどん膨らませている…。自分の肉体的・精神的苦しみと対照的に、自然や季節は変わらず巡っていく様子を描いた歌です。死の影が迫る中でも、生命の象徴である花の動きを捉えることで、悲壮感の中に美しさが立ち上るような印象を与えます。切なくも崇高な情景が胸に迫ってきますね。

上の3つの短歌からも、中城ふみ子の歌の特徴が感じられるでしょうか。

どの歌も彼女自身の体験や感情に根ざしていて、初心者にもストレートにイメージが伝わってくる強さがあります。

それでは、次に中城ふみ子の生涯と短歌の関わりについて、もう少し詳しく見てみましょう。

波乱万丈の人生と短歌に映るドラマ

中城ふみ子の短歌の魅力を語る上で、彼女自身の劇的な人生を避けて通ることはできません。その人生を知ると、先ほど紹介した短歌の背景にある物語がいっそう立体的に感じられるはずです。

1922年、北海道帯広市に生まれた中城ふみ子は、東京の女子学院で学んだ後、20歳で結婚します。しかしその結婚生活は幸せなものではなく、夫の不誠実もあって9年後に離婚しました​。幼い子供がいましたが、夫婦仲の破綻により彼女は歌に生きがいを見出すようになっていきます​。結婚中から短歌を本格的に作り始めており、まさに先ほどの「母を常凡に生かせてくれぬ」という歌が生まれた背景には、家庭内の孤独と葛藤があったのです。

離婚前後の頃、帯広の短歌結社「辛夷(こぶし)短歌会」に参加したふみ子は、歌を通じて大森卓という青年と出会い、激しい恋愛感情を抱きます​。大森は結核を患っていた歌人で、ふみ子は彼に心惹かれると同時に強い影響も受けました。残念ながら大森卓は1951年9月に亡くなってしまい、ふみ子は深い悲しみに暮れます(彼女が彼に捧げた挽歌は高く評価されています)。その翌月、彼女は正式に夫と離婚しました。燃えるように人を愛し、そして失う——その経験は彼女の短歌に一層の激情と哀切を与えました。先ほど紹介した「灼きつくす口づけさえも…」という歌にも、激しい恋にも満たされない孤独感が漂っていましたね。

さらにふみ子は、離婚後に木野村英之介という7歳年下の男性とも親密な交際を始めます​。毎晩のように華やかなドレスでダンスホールに出かける彼女の姿は、幼い子を祖父母に預けて恋に走る“出戻り娘”として当時の地方都市ではスキャンダラスな噂になりました。誘ってくれた短歌仲間ですら心配して引き離そうとするほどでしたが、それでもふみ子は「恋に死ぬ意気地」、すなわち恋のためなら命も惜しまない覚悟を胸に情熱的な人生を突き進みます。このモットー通り、彼女の短歌にも恋に身を焦がす思いが放埓(ほうらつ)に詠まれていきました。

しかし運命はさらに過酷です。1952年、30歳を目前に乳がんを発症し、片方の乳房を手術で摘出することになりました。翌1953年には反対側の乳房も失い、ふみ子は両胸を失うという女性として辛い経験を強いられます​。命の危機と向き合いながらも、彼女は創作への情熱を失いませんでした。むしろ死期を感じる中で短歌にますます傾倒し、自身の病状や胸の喪失、死の恐怖までも短歌という形で表現し始めます。たとえば、先ほどの「無き筈の乳房いたむ…」という歌には、失った乳房の幻痛に苦しむ自分の姿を歌に昇華した彼女の思いが込められていました。

1954年、中城ふみ子に人生最大の転機が訪れます。病床にあったふみ子は、短歌雑誌『短歌研究』の新人賞企画「新人五十首詠」に自作50首を応募しました。その連作「乳房喪失」は選考委員の目に留まり、見事一位特選に輝きます。乳がんで両乳房を失った女性歌人の赤裸々な作品が世に出たことで、歌壇内外に大きな反響と波紋を巻き起こしました​。

ちょうどその頃、ふみ子は自費で歌集を出す準備も進めており、憧れの作家川端康成に歌集の序文執筆を依頼していました。川端は彼女の作品を高く評価し、出版社の角川書店に強く推薦してくれたのです​。その後、処女歌集『乳房喪失』が1954年7月に刊行され(奇しくも彼女の死の直後になりました)、翌1955年には第二歌集『花の原型』も遺稿集として出版されました​。

残念ながら、ふみ子自身は1954年8月3日に札幌の病院で息を引き取ります​。最期はお母様が看取られたそうです​。わずかな期間の華々しい活躍でしたが、彼女は命を燃やし尽くすように創作を続け、多くの名歌を残しました。

こうして振り返ると、中城ふみ子の人生そのものがドラマチックな物語です。そしてその物語はそのまま短歌に投影されています。離婚前後の孤独からは家庭に収まりきれない母の叫びが生まれ​、燃えるような恋からは激しくも切ない恋歌が生まれ​、病と死の淵からは生と死を見つめる深い歌が生まれました​。

中城ふみ子の短歌は、彼女の人生のページを読むかのように生々しく、だからこそ読む者の胸を打つのです。

女性歌人としての革新性 – 自由な表現と率直な内面描写

中城ふみ子が特に特筆されるのは、その表現の革新性です。戦後の短歌界において、ここまで自身の内面を赤裸々に表現した女性歌人は極めて異例でした。彼女は戦後を代表する女性歌人の一人であり、時に寺山修司と並んで「現代短歌の出発点」と評されるほど、その存在感は大きなものでした。

従来、短歌の世界では女性が自分の情欲や嫉妬、肉体のことをあからさまに詠むのはタブー視されがちでした。しかし中城ふみ子は、まさに女性の内面を率直に詠うパイオニアでした。例えば、結婚中に他の男性への激しい恋心を詠んだ彼女の短歌は「あまりにも赤裸々」だと話題になるほどでしたが、それでも彼女は噂など恐れず自分の表現を貫いたのです​。

夫のいる身で恋い焦がれる気持ち、嫉妬に狂おしくなる心、母である自分の中の反抗的な魂、さらには女性の象徴とも言える乳房の喪失という痛み――こうした題材を真正面から歌に詠み込んだ勇気は、当時としては驚くべき自由さでした。歌の内容だけでなく、その形式においても彼女は伝統に縛られませんでした。31音の定型にとらわれず、時には型を崩してでも思いを強く表現しようとした跡が見られます。こうした表現上の工夫も、彼女が自分の伝えたい感情を何より大事にしていた証と言えるでしょう。

中城ふみ子の革新的な作風と生き様は、多くの後進の心を揺さぶりました。同時代の男性歌人である寺山修司は彼女に強い影響を受けた一人であり、「中城ふみ子なくして現代短歌なし」とまで言われるほどです。

寺山修司のみならず、後の世代の歌人たち、特に女性の短歌作者にとって、中城ふみ子の存在は自分の思いを自由に表現することへの大きな励みになったに違いありません。

おわりに

中城ふみ子は31年という短い生涯に、燃えるような情熱と深い悲しみを抱えて駆け抜けました。その結晶である短歌の数々は、時代を超えて私たちの心に強く訴えかけてきます。難しい知識がなくても、彼女の歌から伝わる感情はダイレクトに感じ取れるのではないでしょうか。ぜひこの機会に、中城ふみ子の歌集『乳房喪失』『花の原型』を手に取って、その世界に触れてみてください。悲しみ、喜び、愛おしさ…人間の様々な感情が凝縮された彼女の短歌は、きっとあなたの心にも何かを残してくれるはずです。

初心者の方でも、中城ふみ子の短歌と人物像に少しでも魅力を感じていただけたなら幸いです。「恋に生き、歌に生きた」中城ふみ子の物語と作品を通じて、日本の短歌の奥深さと面白さをこれからも楽しんでくださいね。

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